せいりょう園は、国連が示す高齢者介護に関する5原則「自立・尊厳・参加・自己実現・ケア」を基本に『自由な行動とその人らしい暮らし』の実現を目指し、下記のように考えて事業に取り組みます。
全て人は、最期まで自らのベストを尽くして懸命に生きる権利を有し、自立した生活の主体者として人生を締め括ります。
介護を要する高齢者の側に居て、自立した存在と、懸命に生きる権利とその責任を支え、人生のゴールまで伴走するのが、介護の役割です。
人は「自立」した存在として生きています。老いてADLが下がっても、機能の低下に向き合い、それを受容し、自立した存在として誇り高く生きて、高いQOLを保ちながら、自らの人生を締め括ります。
介護を要する身になって、例え自分の手で生活行為が出来なくなっても、残る五感の全てを使って懸命に生きようとするのが、生命体としての人間の本能です。介護職にとっては、本能に添って懸命に生きている生命体の五感の働きを察知し、適宜に対応する為に、自らの感性や感覚を磨く事が重要です。
そして、自立した存在としての誇りと責任と主体性を支えて、ゴールインする側に寄り添いたい、と願います。
自立支援の介護の原点は、ゴールインを支える介護に在り、予防の時から看取りまで共通した視点に立ち、適度な距離を保ちながら伴走します。
ご家族や介護職の中に、ゴールが見え隠れし始めると右往左往して、介護の手を離す場面が数多く見られます。亡くなる人の82.6%が病院で最期を迎えています。
長い人生を歩んできた人にとっては、ゴールインする場面でこそ、右往左往せずにゴールを見定めて伴走する介護者が必要である事をしっかりと認識して、予防の時期での判断を間違う事のないように努めたい、と願います。
未だ多くの生活力を秘めている予防の時期にこそ、自立した生活の主体者としての力を見極め、実現するべき生活を想像し、ご本人自らが実現できるように支援する、介護職としての観察力と技量と理念が試されています。
予防の時期での自立支援の視点が、生命の終焉の暮らしを支える介護の出発点である事を自覚して欲しい、と心より願います。
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適者生存の自然社会で高齢期まで生きる人は、正に社会生活の適者です。認知症や要介護となっても、経験により培った生活力や生命力を発揮して自由に懸命に生きています。其処に人の尊厳が在ります。内に秘めた力を見極め、それを存分に発揮できる環境を整え、主役として人生を終える姿を見届けるのが、高齢者の尊厳を支える介護の専門性です。
人は自然物として生きると同時に、社会に「参加」して生きています。自然界は弱肉強食・適者生存の世界です。自然は時に恐ろしい力で人間に襲いかかります。人間社会もまた多くの不合理・不条理を孕み、人は多くのストレスを感じながら生きていきます。
その中で65歳を超えて高齢期を生きる人は、優れた適応能力と柔軟性を身につけた、正に社会生活の適者です。他者との適度な距離を測り、その反応を窺いながら、柔軟にしなやかに自らの対応を決めてきました。人が誕生してから70年~90年の過去に培ったその能力は、生半可な観察力では見えてきません。鋭い観察力が問われます。
要介護となった高齢者が、わが身の有様を嘆き悲しみ、心の整理がつかない間は、その持てる能力を充分には発揮出来ず、その行動も混乱し、家族や介護者を困惑させます。この時期の行動が介護を困難にし、介護量を増やし、介護を迷惑や犠牲や負担と感じる根拠にもなります。
障害を持ち介護を要する身であることを肯定し、受容するとき、人は残る機能を存分に発揮しようとする意欲が生じ、努力し始めます。持てる機能を充分に発揮して、懸命に生きることに専念します。そのとき、必要とする介護量は減少し、家族や知人も迷惑とは感じなくなり、快く介護に参加します。
要介護になった高齢者に障害の受容を促す処から始まり、ご本人の生活力や生命力を信頼して行動を任せて、自分の事を自分で決める自由な生活を支え、家族や知人も交えて最期の瞬間まで見届けるのが、高齢者の尊厳を支える介護です。
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人は独りでは生きられず、様々な人々と関係を拡げながら、次の世代に社会を引継ぎます。人は、社会を構成する本能により、他者を意識するとき、懸命に努力します。例え介護が必要となっても、他者と繋がる生活の中で人生を締め括るとき、未来に希望が繋がります。
人間は出生後、社会人として一人前になるのに約20年以上をも費やし、その後も多くの他者と相互の関係を結び、様々な濃淡の関係を経験し、社会の一員として生きる術を学びます。
高齢期まで生きる人は、他者との関係性においてはまさに達人であり、たとえ孤独な境遇になろうと、認知症になろうと、他者の存在を意識し、自然の移ろいや周囲の環境を観て、自分の居場所を探り、他者との距離を測り、振る舞いを決め、懸命に自分を表現して生き抜きます。
そして、最後の「自己実現」が「死」なのです。力を失う中でこそ気付く事があり、力を失ったからこそ、伝えられる事が生じてきます。日常の生活で繋がる多くの人々に最期の姿を委ねて、人生を締め括り、多くの大切な事柄を伝えて、次の世代に社会を引継ぎます。
高齢期を迎えた達人の力に全幅の信頼を置き、他者として側に居ること、関心を持って観ること、素直に聴くことで、介護者はその役割の半ばを果たしています。介護者はそこで、適度な距離感を学び、命に係わる貴重な体験を積み重ねます。老いの暮らしを支えている感性や感覚に気付きます。
介護者としての役目を果たすと同時に、其処での経験が、介護者自身の老後の生活を支える思想を育み、自らの感性や感覚を磨くことに繋がっています。
地域社会の中で多くの人が介護に係わるコミュニティケアの実現が、生きる力を次世代の人に伝え、未来に希望をつなぐことになります。
高齢者は、社会の一員として暮らし、社会の一員として人生を締め括ることで、社会を構成して生きる為に必要な思想と社会性を、多くの人に伝えているのです。
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高齢者は、老いて心身が衰え、最期に向かう暮らしを他者に委ねながら、遺伝子では伝わらない大切な物事を伝えています。命の限りを知り、命より大切なものを学び、思想や文化や伝統を伝えて、人生を締め括ります。その姿は最後の自己実現であり、其れを支える処に介護の特性があります。介護はまさに人間文化の一つです。
生老病死。老いは自然の摂理です。老いのプロセスを経て死を迎えるのは自然の成り行きであり、医療の力をもってしても回避できません。老いのプロセスを、もっと元気にもっと長く生きたいと願う高齢者にとっては、老いは安心も幸せも生み出しません。老いて、要介護となり、死を迎える生活の中に、普遍的な幸せを見い出す価値観が求められます。
『葉っぱのフレディ』が気づいたように、輪廻の思想に添った永遠の命が心に芽生えるとき、死後の世界への希望がつながり、今の社会での生きる力を支えます。それが社会全体に拡がり、出産や子育てを支え、生きる力のみなぎる次世代の社会へと導きます。
社会の高齢化に連れてノーマライゼーション・QOLの尊重など、人は新たな価値に気づき、新たな理念が生まれました。それは老いの現実を肯定し受容する処から出発してこそ、到達し得るものです。
加齢を拒否せず、有りのままの姿で充実して生きる人は、医療や他者の介護に多くを求めず、自分なりのライフスタイルを創り上げ、自立した存在として意欲的に生きて行きます。老いては要介護への準備を整える事が、終身続く介護予防であり、必要な介護量を減少させ、介護制度の持続を可能にします。
人は、自らの最期を他者の介護に委ねて、人生を締め括ります。其れが最後の自己実現であり、高齢期まで生きた人が、社会人として引継いできた文化や伝統を次の世代に引継ぎ伝える役割を、介護が支えています。人間国宝となった歌舞伎役者が、子供には親の死目に会うことよりも舞台を優先させて、その芸を引継ぐように、介護が文化的な大きな役割を担っている事を自覚したい、と願います。
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介護は、他者の手足となって、他者の為にする生活行為です。介護を必要とする人を、在りのままに受け止める処から始まり、自他の違いを忘れずにゴールまで支えます。そしてゴールが見え隠れする暮らしの中で、一方通行ではなく、相互にケアする関係に気付きます。ゴール間近では生身の自然な営みを尊重してターミナルケアを行い、新たな旅立ちに際して、労いの心を込めてエンゼルケアとエンゼルメイクを行い、死出の装いを整えて介護は終了します。
医療の進歩により“不治の病”と言われた病気の殆どが治癒可能となり、今生まれる子供たちの多くが後期高齢期まで生きることになります。更に今も進歩を続け、不老不死も夢ではなくなりそうな気もしてきます。
しかし現実には、生身の人間が老いて死を迎えるのは厳然たる事実です。否応無く受け入れざるを得ません。その現実を受容し、嬉しい想いの中で最期まで生き抜く高齢者に寄り添うのが、医療と介護の役割です。
症状の改善を目指す医療と、老いと死の受容を求める介護の間で、人は長く生きたいと望む心と、命の限りを覚悟する心と、微妙に揺れ動きながら、自然に触れ、他者と関わる暮らしの中で、自らが主役としてその生命活動を締め括ります。そこでは、医療も介護も脇役であり、思想や信仰心が重要になります。
現在の日本では、平均の要介護期間が6~8年であり、高齢者の多くが死を意識しながら数年間を生きる時代です。この数年間は、限りある命が自然に燃え尽きる為の準備期間であり、介護する人とされる人の間で様々な想いが複雑に交錯します。そして一方通行ではなく、相互にケアする関係の中で、次の世代に最後の引継ぎを行い、「永遠の命」となってその後も永く人の心の中で生き続けるのだと思います。
生命の完結を見届けるターミナルケアから、新たな旅立ちに相応しい装いをするエンゼルケア・エンゼルメイクへと続く経過の中で、千の風になって見守ってくれる命の存在を願う心が芽生えてきます。
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